アンニョンハシンミカ!
この度、ハンマウムフェスティバルで初級部サッカー教室を担当しました、体育学部 4年 鄭勇志(チョン・ヨンジ)です。
今回この役割を任されるにあたっていろいろな経緯がありました。 まず初めに、自分のサッカー生活を少しお話したいと思います。
幼少期はサッカーには全く興味がなく虫捕り、公園の遊具で遊ぶのが大好きでした。 初3の頃サッカー教室の体験でドリブルができた時に嬉しさを感じ、初4から本格的にサッカーを始めました。 当初、同級生と比べて頭1つ分体が小さかった僕の成長具合を気にかけてたオモニに連れられ小児科へ受診し経過観察をしていく中、中1の夏に成長ホルモン分泌不全性低身長症(リオネル・メッシと同じ病気)と診断され高3の夏まで6年間にわたって毎日ホルモン注射を投与しながらサッカーを続けてきました。 ホルモン分泌不全により人より骨の成長が遅れていたため幾度となく怪我(骨折)を繰り返し大事な大会にも出れず辛い思いをした時期もありました。低身長症と診断された時からアボジ、オモニが常に仰っていた言葉があります。
<ハンディをモノにしろ>
この言葉が僕のマウム (気持ち)を強く突き動かし、もっと高みを目指して朝鮮大学校に進学してサッカーを続けようと決心させました。大学でのサッカー生活は、たくさんの刺激を受け挫折も繰り返しながら真剣にサッカーと向き合ってきました。 ところが大学3年の秋、不慮の出来事で頭に大怪我を負い大手術をしてプレーヤーとしてのサッカーの道が閉ざされてしまいました。 術後、僕はこれからの日常生活(朝大、サッカー)の環境、状況の変化を考えると現実 を受け入れられず心身ともに不安定な日々が続き朝大そしてサッカー部をやめようと 思っていました。 しかし、家族の支え、友達を始め沢山の方々の励ましによりこのような経験も自分の人生の一部とし受け入れて前向きに進もうと思い大学4年になるラスト1年、朝大に通いサッカー部を離れず続けて行こうと思い定めました。
朝大に戻ってから今後のサッカー部での役割について議論を重ねていく中、誰も経験のない役割でチームに貢献したいという思いからアナリスト(分析官)としてチームを支えていくことになりました。 朝大では前例のないアナリスト 僕は主にリーグ、カップ戦で対戦するチームの分析を担当しました。 大学3年の3月から何の知識もなく始め独学で大学、プロのカテゴリーの研究をするなど試行錯誤の日々でした。 その時、6月から全日本大学連盟主催のアナリスト研修会が毎月開かれる事を知り変化や成長を求め参加することにしました。
その研修会にはアンダー日本代表、全日本大学選抜に帯同している全国の強豪大学のアナリスト達が多数いて、ハイレベル且つ刺激の多い環境でした。 ディスカッションを繰り返していく中、彼らと自分を比較したところデータ、動画編集では及ばないところが多いが、サッカーを分析する戦術眼では負けていなく他とは違う観点でサッカーを見れていると思えて自信につながりました。 そこから彼らを基準として、<分析でチームの勝利の確率を上げる>という目標を明確に立て部活以外のほとんどの時間を対戦相手の分析に費やしました。 アナリスト活動を通して、外から見て動かすサッカーへと変化し,選手達を分析する過程でチームの特徴もわかり戦術面での面白さや難しさを学ぶことができました。
僕はアナリストと同時に練習では、学生コーチも行ってきました。 基本的に僕は下級生が多くいるカテゴリーの指導に当たってきたのですが、直接技術を選手に教えるよりかは個人のプレーの癖、メンタル的な部分などを分析し伝えるところに重きを置きました。 その理由はアナリスト業をメインで行っているため違った視点から選手達に気づきを与え成長を促したかったからです。 アドバイスを求められた選手には、1つでも多く正確な分析のもとアドバイスしては、 叱責し具体性を求めてきました。 そのような選手達がどんどん成長して活躍していくのが何よりも嬉しく感じました。
またサッカー部活動以外に学部実習の一環として埼玉朝鮮初級学校高学年の部活を指導する機会がありました。 自分がプレーヤーでない立場になって初めて初級部生指導にあたったのですが、準備段階で自分の初級部の頃の気持ちを思い出しながら練習メニューを考えたところ、この年代は純粋で無邪気なため何よりもサッカーの楽しさを伝えるのが重要だと思い、そこに焦点を当ててトレーニングを作成しました。 自分自身、初級部生指導が初めての試みであり、準備がうまくできなかった部分は多少ありますが、それでもがむしゃらに練習に取り組む学生を見てすごく勉強になり、もう1度機会があるならやりたいなという気持ちを抱いた実習でした 。
そんな中、ホーム最終戦で<ハンマウムフェスティバル>を大規模で開催することにな り、そこで開く初級部サッカー教室の責任者の担当依頼を副キャプテンでありフェスティバル責任者のサンゴン(金翔空 体育学部 4年)から受けました。 僕は即答で、やらせてもらいたいと答えフェスティバルの準備に積極的に取り組みました。 フェスティバルでは、東京学区のウリハッセン(学生)達を中心に小平市のクラブチーム、少年団の子達70名弱の参加申請が集まっており朝大生、FC KOREA の役員合わせて約 85 人の大規模なサッカー教室が行われることになるため、僕ともう一人責任者であるFC KOREAに所属する同郷の先輩と密に連絡を取り合ってサッカー教室の理念、当日のメニュー作成、グリット作成、人数集計、移動等シミュレーションを行いながらギリギリまで詰めて準備を進めてきました。 そして協議を重ねた結果、朝日初級部生、朝大生、FCKOREA の皆がサッカーを通じて心を一つ(ハンマウム)になって楽しもうという理念のもと<ミニゲーム大会>を開催することに決定しました。
当日は時間との戦いで、大会を円滑に進めて行けるように役員たちには元気溌剌な初級部生達の対応を取ってもらいました。 晴天に恵まれた中、ゲーム大会が開始すると皆一斉にゴールを目指し必死にプレーをして、ゴールを決め勝っては声を張り上げながら喜び、負けては悔しく崩れる学生達のピュアな姿や声を聞くと、皆が一体となってサッカーを楽しんでいるのがひしひしと伝わり自然と僕も笑みが溢れました。 1時間という非常に短い時間でしたが、人数がさらに増え80人弱の将来性ある朝日初級部生達のサッカーに対する姿勢から多くの学びを得られ、またサッカー 教室の役員達の協力のおかげで、フェスティバル当日総勢約100 人にも膨れ上がったサッカー教室を大成功で終えることができました。
朝鮮大学校サッカー部には<同胞達に力と勇気を、後輩達に夢や希望を>というチーム スローガンがあります。 サッカー教室に参加してくれた初級部生多数が、「朝大サッカー部のヒョンニンみたいにサッカーが上手くなりたい」「朝大サッカー部に入って自分も活躍したい」と心高ぶらせながら話してくれました。 その言葉を聞いた時、朝大サッカー部はもうすでに後輩達に夢や希望を与え始めており、光となっていると強く感じました。 チームスローガンは目標ではありません。 もうすでにそのスローガンは軌道に乗り出しています。 朝大サッカー部は、在日サッカー界の象徴であり在日同胞社会の次世代を担っていることを忘れずに、今後とも前進していかなければならいと思わせてくれたハンマウムフェスティバル初級部サッカー教室でした。 今後とも朝鮮大学サッカー部の応援よろしくお願いします。
長い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。
名前:鄭勇志(チョン ヨンジ)
誕生日:2002年11月13日
学部:体育学部
出身校:愛知朝鮮中高級学校
ポジション:アナリスト
好きな言葉:「ハンディをモノにしろ」
好きな選手:フィルフォーデン
一言:4年間で多くの学びを得ることができました。