④ その先に見えるもの~趙 柱誠(4年 体育学部)~

部員ブログ

~部員ブログ④~2020/4/16

『その先に見えるもの』

自分はサッカーと出会い13年目になります。
ありがたいことに大好きなサッカーを続けれています。
今では当たり前のようにできでいるサッカーですが、1度本気でやめてやろうと思った時期がありました。

今日はその話をさせて戴きます。

小学校から始めたサッカー、何一つ上手くはなかったけど心の底からサッカーを楽しめていました。
色んなポジションもしてきて、中学からはキーパーを始めてそこからサッカーに夢中になっていきました。

止める喜び、勝つ喜び、負ける悔しさすべて含めて毎回「サッカーは楽しい」と思っていました。
中高両方キャプテンもさせてもらって、みんなに支えられて、応援してくれる同胞がいて幸せな環境でサッカーをさせてもらっていました。

その当時から大学に行ってサッカーをしようと思っていました。
絶対にスタメンとってやるっていう気持ちをもって大学にいく準備をしました。
こんな感じで11年目のサッカー人生が始りました。

初めは自信しかなかったから、とりあえず黙々とやってた感じでした。
自分が上手いと勘違いしながら、サッカーを楽しむのではなく、戦うのでもなく、自己アピールに走りました。

これが、あとあと響いたんです。笑

4月ごろから、Aチームに合流させてもらってトップの試合に出ることは無かったもののA2で出たり、ベンチに入ったりって感じでした。

夏の遠征もAで行かせてもらいました。
この一試合目で盛大にミスをして、そっから崩れていきました。

一つのミスくらいで凹むなよって感じやと思うんですけど、当時の4年の先輩に初めて本気で怒られました。
内容は『そんなことも出来なくて本気で戦えないならサッカーやめろ』でした。
勘違いで満ち溢れてた自分からしたら、一気に凹みました。

また、膝の怪我をずっと持っていた自分は、その出来ない理由をすべて膝のせいにしたんです。
あとは、自身の選手間とコーチの関係が良くなかった事が原因にしました。

そっから、現実を直視させられた自分は膝の痛みが気持ちも崩れると同時に増してきて、夏中にチームから離れてサッカーから距離を置きました。

メンタルが完全に折れた時ですね。

そこからは、膝の治療に専念すると言って夏から3ヶ月ほど、練習に出なかったり出るけど途中で抜けたり、自由に行動してました。

サッカーがいやになった自分は、色んなことを始めていきました。
先に新しいことを始めてしまえば、サッカーとも縁を切れると思ってました。
この日くらいから、サッカーを辞めてやろうと本気で思っていました。

でも、本間はサッカーなんか嫌いになってないんですね。
一瞬の心の病みを早く解決したくて、本間の原因ではないサッカーから離れたかったんです。逃げです。
親にも友達にもやめる。って言いました。
やけど色々話した結果、とりあえず「もう一回だけサッカーを楽しんでみる」でした。

1度辞めたものは絶対に戻ってこない。やりたくてもできない。
そんな覚悟も出来てなかった自分にはこの結論が今では救いになってます。

そして、その気持ちを持って久しぶりにできたサッカーはめちゃくちゃ楽しかったのを覚えてます。

続けてきたもの、続いてるものはいつか絶対に辞めたくなったり、逃げたくなる時がくる。でも、一度嫌いになったものは新たな気持ちを持って向き合うと一周回ってきて、自分にはなくてはならないものなんだと感じることが出来る。
とその時に学ぶことができました。

もちろん、明確な理由があって辞めるのはまた別の話なんですけど。

自分はこの時期に支えてくれた親、友達にすごく感謝してます。
この時期は人生の1回目の人生の分岐点やったかなと思っています。
いまはサッカーが大好きです。チームも大好きです。
この現実に感謝してます。

今年は新型コロナウイルスの影響もあり非日常が続く生活ではありますけど、
気持ちは変えずに、いつか戦えるその日まで最高の準備をしていきたいと思います。

全員でこの危機を乗り越えていきましょう。
PRIDE OF KOREA .

選手紹介
名前:趙柱誠(チョウチュソン)
誕生日:1999.4.8(4年)
学部:体育学部
出身校:京都朝鮮中高級学校
ポジション:GK
好きな言葉:人のためにすることが自分のためになる。
好きな選手:ネイマール